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(2014年12月20日放送)
特別オンエア中!
体験談『私が本当に捕われていたのは、エホバの証人ではなく…』

投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-06-08 07:08:28 (1796 ヒット)

今日は、旅行や会議などのため欠席される方々も多かったのですが、新しい方々も加わり、いつものとおりよい学びの時になりました。礼拝では、ローマ人への手紙8章1節から11節より「聖霊が与えられたことの意味」というメッセージが取り次がれました。今週日曜日(6月4日)はユダヤ教では「七週の祭(ペンテコステの祭)」の日で、律法が与えられたことを記念してお祝いする日ですが、新約聖書では聖霊が与えられたことを記念してお祝いします。コリント人への手紙第二3章は、「律法と御霊の比較」を展開しています。ユダヤ教とキリスト教の連続性と非連続性について、多くのことを考えさせられました。

その後のクラスでは、「聖書を証言的な書物」として理解するのと、「聖書を物語的な書物」として理解するのと、どちらがより的確なことなのかという問題が取り上げられました。「物語」という言葉をどのように定義するのかに全てはかかっていると思っていましたが、そもそも「物語」を定義すること自体が現代的な問題意識から出発しているのだという指摘にはびっくりしました。古代の世界では、「物語」が唯一の普遍的なコミュニケーション・ツールであったという説明には、なるほどと納得しました。このような作業を通して、聖書とはどういう性格の書物なのか、神学とはどのような学問なのかという問題を深く考える機会になりました。ありがとうございます。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-06-01 07:05:41 (171 ヒット)

今日は、大野教会のご婦人の会員のお葬儀が入り、クラスの時間の変更がありました。にもかかわらず、沢山の方々が参加され、今日もとてもよい学びが出来ました。礼拝では、ローマ人への手紙5章17節から21節より、「罪の本性」について考えました。聖書がいう「罪」とは、\犬泙譴弔のものであること、⊃佑凌瓦ら湧き出ること、人類に普遍的であること、た世箸隆愀犬嚢佑┐襪戮こと、ゥ汽織鵑箘霊の働きと関係していることなどについて、丁寧に説明してくださいました。その後のクラスでは、もし進化論を信じる場合、アダムの罪と死の問題をどのように考えたらよいのかという質問が出され、お互いにディスカッションしました。私は、創造科学の考え方は信じられないのですが、かといって、進化論も信じられないという中途半端な立場に立っています。自分なりの考え方を早く確立したいと思っています。

午後のクラスでは、お茶の水聖書学院院長の藤原導夫先生が、「現代における説教」というテーマで講義してくださいました。私は、以前先生のお話に感動したことがありましたが、今回も改めて先生の説教に対する思いをお聞きすることができ、すばらしい学びをさせていただきました。説教者のご苦労を考えると、いい加減な態度で説教を聞いていた自分をとても恥ずかしく思いました。

葬儀があっていろいろ大変なことも多かったと思いますが、JWTCのクラスをいつも通り淡々と進めてくださった事務局の皆様に改めて感謝したいと思っています。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-05-25 06:43:09 (132 ヒット)

今日も真夏日のような暑い一日でした。新しい方々も多数出席され、活気溢れた学びの日となりました。礼拝では、ローマ人への手紙5章12節より「原罪の教理は聖書的なのか」というメッセージでした。一般にキリスト教の神学では、人間は罪を犯したから死が生じたと考えられていますが、この聖書箇所の最後の部分は、人は死んでいるから罪を犯すのだと読むのが正しいそうです。すると、ここでいう「死」とは肉体の死ではなく、神から切り離された状態を指しているということになります(エペソ人への手紙2章1-3節参照)。すると、人間は神から離れて死んだ状態にあるから罪を犯すのだという意味になります。午前のクラスでは、サタンや悪霊はいつ造られたのか、その実体はどのようなものなのか、という問題が論じられました。

午後のクラスでは、大野キリスト教会のYさんが、ご自分の歩みを証してくださいました。66年間の歩みを振り返えられ、ご自分のこと、奥様のこと、お子さんのことなどさまざまな問題を分かち合ってくださいました。どんな状況に陥ったとしても、決して諦めないで問題を解決しようと努力されてきた姿に、大きな感動を覚えました。クリスチャン一人一人は、日々神との関わりをもって生きています。その関係を知的に整理して理論化したものが神学です、したがって、すべてのクリスチャンは自分の神学をもっているので、自分のストーリーを語ることが大切だということが、だんだん分かってきました。

こんな学びを与えてくださっているJWTCの関係者の皆様に心から感謝しています。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-05-17 20:21:53 (175 ヒット)

今日は小雨のぱらつくお天気でしたが、すばらしい学びの時をもちました。礼拝では、創世記12章1-3節より「アブラハムの子孫」というメッセージが取り次がれました。アブラハムの子孫とは、旧約聖書ではイスラエルのことですが、新約聖書ではキリストのことであり、クリスチャンのことだというお話でした。聖書全体が「神の贖いの物語」であるという説明が、次第に違和感なく聞けるようになってきました。その後のクラスでは、ディスペンセーショナルな聖書解釈の問題について質問があり、ご一緒に考えました。

午後からのクラスでは、エホバの証人の元長老Iさんが、「嘘には二種類ある。本当の嘘と一部の真実を全体の真実であるかのように話す嘘とである」という話をしてくださいました。その後、エホバの証人の問題についてさまざまな角度から話し合いました。ある地方で、相当数の背教事件が起こっているという報告には、ショックを受けました。組織も末期的症状が生じているのだなあ、と感じました。かってのエホバの証人たちの仲間が、一日も早く組織から出てくることを祈らざるを得ませんでした。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-05-12 09:03:05 (176 ヒット)

今日は雨降りの一日でした。しかし、クラスには熱心に学ぶ人たちが大勢参加され、すばらしい学びのときをもちました。礼拝では、創世記12章1節から4節より、「アブラハムへの祝福」というメッセージが取り次がれました。この箇所には、5回「祝福」という言葉が出てきます。それは、1章から11章までに出て来る5つの「呪い」に対応していると学びました。ただそれだけでなく、1章から2章の創造の記録において7つの「よしとされた」と、3つの「祝福」が出てくるので、アブラハムへの祝福は、そこへの回帰が意識されているという解釈には、なるほどと感動しました。続く午前のクラスでは、聖書を物語として読むこととディスペンセーション的な聖書解釈の違いについて解説がありました。

午後のクラスでは、中澤牧師がクリスチャン新聞に連載中の「NTライトの神学」の書物から学びました。福音派のクリスチャンたちは、ライトの歩みや神学的な立場、その生涯や信仰者としての在り方や考え方から謙虚に学ばねばならないという姿勢に対して、深く考えさせられました。神学とその人の人格的なものとは切り離すことは出来ないということはその通りだと思いました。このような記事を通し、あるいはJWTCのクラスを通し、中澤牧師が福音派に遺産として残さねばならないと考えていることがだんだん分かってきました。先生には、命あるかぎり、その使命を果たしていただきたいと祈らせられました。感謝です。


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