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(2014年12月20日放送)
特別オンエア中!
体験談『私が本当に捕われていたのは、エホバの証人ではなく…』

投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-06-29 05:44:16 (6 ヒット)

今日は、梅雨の真っただ中、小雨降る中でのクラスでした。礼拝では、コリント人への手紙第二3章より「律法と御霊の対比」というメッセージが取り次がれました。ユダヤ教には過越の祭、七週の祭、仮庵の祭の三大祭があります。七週の祭は過越の祭から50日目で、ペンテコステ(50の意味)と言われ、聖霊が下された日です。ラビ伝承は、ペンテコステの日にモーセ律法が与えられたとされています。すると、律法と御霊の両方の働きがどのように似ており、どのように違うのかが問題になりますが、コリント人への手紙第二3章は、その問題が論じられているという解説には目からうろこでした。

クラスでは、中澤先生が先日訪問されたアメリカのペンシルバニア州エリの町のグレース教会に関するレポート(その2)がありました。今後、大野教会がグレース教会と姉妹教会としての交流を発展させていくのに必要な情報がたくさん与えられました。特に、3つの場所を異にする教会が「一つの教会」であるために、どんなことを努力しているのかをお話しくださり、参考になりました。特に、教会のアイデンティテーをつくるものは、聖書のグランドストーリーを信じ、受け止めることにあるというお考えには納得しました。

今日も大変すばらしい学びをありがとうございました。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-06-22 19:41:00 (23 ヒット)

今日は、台風か嵐が来たかのように、激しく雨が降り続く一日でした。にもかかわらず1時間以上も前から熱心に学びに来られた方々をはじめ、普段来られない方々も加わわって、充実した学びをもつことができました。礼拝では、マタイの福音書25章14節〜30節より、「タラントの例えから人生の意義を学ぶ」というメッセージが取り次がれました。中澤牧師がこの聖書箇所を牧会の基盤に置いて働いて来られたことを知り、驚きました。「牧会とは、結局信徒の一人一人が自分の賜物を生かして自分の人生を全うすることに尽きる」という話は、とても説得力に富んだもので、なるほどなと感動しました。

その後のクラスでは、中澤先生が先週アメリカのペンシルバニア州のエリという町の教会を訪問され、経験されたさまざまな出来事をお話くださいました。7年前600人だった教会を今日2000人の教会へと導いた秘訣はどこにあるのかを、さまざまな角度から検証して、大野教会の直面している課題に参考にしていこうとする意気込みには頭が下がる思いでした。日本の教会とアメリカの教会の事情はまったく違うでしょうが、それでも両者に共通する点もたくさんあることがよくわかりました。私も、自分の教会をどのように成長させていったらよいのか、普段から考えていましたので、今日の講義はとても参考になりました。来年もしエリの教会を訪問する企画があれば、ぜひ参加させていただきたいと強く思いました。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-06-08 07:08:28 (64 ヒット)

今日は、旅行や会議などのため欠席される方々も多かったのですが、新しい方々も加わり、いつものとおりよい学びの時になりました。礼拝では、ローマ人への手紙8章1節から11節より「聖霊が与えられたことの意味」というメッセージが取り次がれました。今週日曜日(6月4日)はユダヤ教では「七週の祭(ペンテコステの祭)」の日で、律法が与えられたことを記念してお祝いする日ですが、新約聖書では聖霊が与えられたことを記念してお祝いします。コリント人への手紙第二3章は、「律法と御霊の比較」を展開しています。ユダヤ教とキリスト教の連続性と非連続性について、多くのことを考えさせられました。

その後のクラスでは、「聖書を証言的な書物」として理解するのと、「聖書を物語的な書物」として理解するのと、どちらがより的確なことなのかという問題が取り上げられました。「物語」という言葉をどのように定義するのかに全てはかかっていると思っていましたが、そもそも「物語」を定義すること自体が現代的な問題意識から出発しているのだという指摘にはびっくりしました。古代の世界では、「物語」が唯一の普遍的なコミュニケーション・ツールであったという説明には、なるほどと納得しました。このような作業を通して、聖書とはどういう性格の書物なのか、神学とはどのような学問なのかという問題を深く考える機会になりました。ありがとうございます。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-06-01 07:05:41 (55 ヒット)

今日は、大野教会のご婦人の会員のお葬儀が入り、クラスの時間の変更がありました。にもかかわらず、沢山の方々が参加され、今日もとてもよい学びが出来ました。礼拝では、ローマ人への手紙5章17節から21節より、「罪の本性」について考えました。聖書がいう「罪」とは、\犬泙譴弔のものであること、⊃佑凌瓦ら湧き出ること、人類に普遍的であること、た世箸隆愀犬嚢佑┐襪戮こと、ゥ汽織鵑箘霊の働きと関係していることなどについて、丁寧に説明してくださいました。その後のクラスでは、もし進化論を信じる場合、アダムの罪と死の問題をどのように考えたらよいのかという質問が出され、お互いにディスカッションしました。私は、創造科学の考え方は信じられないのですが、かといって、進化論も信じられないという中途半端な立場に立っています。自分なりの考え方を早く確立したいと思っています。

午後のクラスでは、お茶の水聖書学院院長の藤原導夫先生が、「現代における説教」というテーマで講義してくださいました。私は、以前先生のお話に感動したことがありましたが、今回も改めて先生の説教に対する思いをお聞きすることができ、すばらしい学びをさせていただきました。説教者のご苦労を考えると、いい加減な態度で説教を聞いていた自分をとても恥ずかしく思いました。

葬儀があっていろいろ大変なことも多かったと思いますが、JWTCのクラスをいつも通り淡々と進めてくださった事務局の皆様に改めて感謝したいと思っています。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2017-05-25 06:43:09 (59 ヒット)

今日も真夏日のような暑い一日でした。新しい方々も多数出席され、活気溢れた学びの日となりました。礼拝では、ローマ人への手紙5章12節より「原罪の教理は聖書的なのか」というメッセージでした。一般にキリスト教の神学では、人間は罪を犯したから死が生じたと考えられていますが、この聖書箇所の最後の部分は、人は死んでいるから罪を犯すのだと読むのが正しいそうです。すると、ここでいう「死」とは肉体の死ではなく、神から切り離された状態を指しているということになります(エペソ人への手紙2章1-3節参照)。すると、人間は神から離れて死んだ状態にあるから罪を犯すのだという意味になります。午前のクラスでは、サタンや悪霊はいつ造られたのか、その実体はどのようなものなのか、という問題が論じられました。

午後のクラスでは、大野キリスト教会のYさんが、ご自分の歩みを証してくださいました。66年間の歩みを振り返えられ、ご自分のこと、奥様のこと、お子さんのことなどさまざまな問題を分かち合ってくださいました。どんな状況に陥ったとしても、決して諦めないで問題を解決しようと努力されてきた姿に、大きな感動を覚えました。クリスチャン一人一人は、日々神との関わりをもって生きています。その関係を知的に整理して理論化したものが神学です、したがって、すべてのクリスチャンは自分の神学をもっているので、自分のストーリーを語ることが大切だということが、だんだん分かってきました。

こんな学びを与えてくださっているJWTCの関係者の皆様に心から感謝しています。


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