「人はお手本を必要とする?」
人はこの世に誕生して、本能的な部分はあるにせよ、実に多くのことを、“学習”して収得するものである。子育ては文化の継承と言われるように、おかれた環境から言語・習慣・価値観等を身につけていく。まさしく親が生きている文化から学んでいくのである。適切な環境下での生活は、バランスのとれた成長を果たすことが出来るだろうが、しかし、完全ではない親から受けた様々な影響によって、心が傷ついてしまうことがある。人は、心が傷ついたままで生きていくことは困難である。更に、こうしたことを契機にして、人生の意味を希求するようになったりする。何によって心が癒されるだろうか。カルト宗教は巧みに人の弱さに付け込んでくる。確かなものを信じ、そこに全幅の信頼をおき、確かなお手本を見出すことが必要ではないだろうか。
私はエホバの証人として30年生活する間、独身時代は信者の女性とパートナーを組んで開拓奉仕をし、後に信者の男性と結婚し子育てをして、信者の中で良い友人たちにも恵まれていました。誠実で熱心なエホバの証人だったと思います。そんな私が昨年の中頃から自然消滅するつもりで活動を止めたいきさつを書きたいと思います。
まだ組織の中にいる友人たちに今後も自由に接触したいので(背教者というレッテルを貼られないために)名前は伏せさせてください。
エホバの証人の組織が「神の是認された唯一の組織」という看板どおりのものでないことがわかったきっかけは血の問題でした。組織は、輸血が聖書の「血を避けなさい」という原則に反すると教えています。私たちは「血の用い方として聖書的に許されているのは贖罪のために祭壇に振りかけることだけで、肉食のために動物を屠った時はその血を地面に注ぎ出すべき」と教えられてきました。それで血が混入されたソーセージや衰弱死したり絞め殺されたりした肉は食べてはならず、自分の血でも輸血してはならず、献血も禁止されていると考えられていました。
それが近年になって「血液分画については各自がその良心で判断するもの」という発表がなされました。「血液を細分化した時、どこまでが血液といえるか」というのです。また「母親と胎児の間で、血液分画は行き来しているから(体に取り入れても良い)」というのです。組織の発表の後すぐにそれまでの考えを変えて「全血と四つの主要成分以外の分画はすべて受け入れる」という決定をした人もいましたが、私は簡単に考えを変えることはできず、血液由来のものは受け入れないことにしようと考えていました。間違った行為であるはずの献血によって集められた血液を加工した血液分画を受け入れて良いということが理解できませんでした。その後、HLC(組織の医療連絡委員会)の長老が血液分画について説明し、「これは許されているのだから、これを避ける方が信仰が強いとか忠節だなどと考えることのないように・・・」と言いました。「「血液分画を受け入れて命を大切にするように」という意味だったのですが、私は首をかしげてしまいました。そもそも血液分画とはどのように作られどのように用いられるのか知りたいと思い、百科事典で調べる感覚でインターネットを使って検索し始めました。そして血液についてだけでなく組織の教理の変遷についても知るようになりました。組織に対する不信感が芽生え、人の命が関わっているのだから血の問題については組織のいうことをそのまま人に教えるわけにはいかないと考えるようになりました。
夫は仕事と会衆のことで忙しかったので、まず私が調べて問題をはっきりさせてから夫に話そうと考えましたが、人生を覆すような情報を一人で抱えていることは苦しいことでした。また、それまで知ることのなかったJW組織の真実の姿と、組織を離れた人たちの悲鳴のような糾弾の言葉は、衝撃的でした。教理については古い出版物や王国会館の図書を調べました。「もしエホバの証人の教えが間違いなら、正しい聖書解釈はどういうものか、1914年の起算年BC607年はエルサレムの崩壊の年か・・図書館に通い、たくさんの歴史や宗教の本を調べました。中澤先生の本や他の資料を求めてE教会を訪ねた時、自分の名前も言わない私をA先生は親切に迎えてくださいました。心から感謝しています。JWICに公開されているたくさんの情報やレイモンドフランズ著「良心の危機」などによって、自分がこれまで何もわかっていなかったことを痛感しました。JWICに寄せられる「読者からの便り」を読んで、多くの誠実な信者が苦悩しながらマインドコントロールから目覚めていることを知り力づけられました。私自身大変混乱し、すべてを捨てて打ち込んできた世界が崩壊していくような苦悩と挫折感と悲しみを味わいました。私は30年もの長きにわたって、組織の教えを鵜呑みにして目を閉じてついてきてしまったと思いました。なぜもっと早くきちんと検証しなかったのか、悔やまれてなりませんでした。
夫は会衆で長老として奉仕していて、我が家で火曜日の晩に書籍研究が行われていましたが、少しずつ話していくうち、夫は長老の立場を降りました。その後しばらくして集会の場所を変わって頂きました。数ヶ月後、私たち家族は組織の活動から離れました。
JWTCのクラスには、中澤先生にお尋ねしたい聖書に関する質問もあって、1年ほど前に出席しました。出席している皆さんが自由にのびのび参加しておられたことが印象に残りました。草刈先生の「ものみの塔の預言・教理の移り変わり」や他の資料もいただくことができました。JWの組織の中にしか友人のいない私は、JWTCに集う皆さんが示してくださったご親切によって、孤独感が癒され慰められました。
幾つかのキリスト教会の礼拝にも出席してみて、信者の方や牧師とも話をし、信仰の篤い善良な人たちであることがわかりました。神様がこれらの人を滅ぼして、エホバの証人を救うのでしょうか?そのようなことはないでしょう。
現役のJWの中には、わたしが組織を離れても友人でいたいと言ってくれる人たちがいますし、組織に疑問を持っている人もいます。私はそれらの人たちがJW組織の欺瞞と偽善に気づいて、組織のマインドコントロールのもとから自由になれるように願っています。組織から離れる人は利己的な願望を追い求めているとか、不道徳や物質主義だとか見られがちです。正しいことを愛する気持ちに変わりがないことを伝え、親切にし続けたいと思います。また、私たち止めた人間が幸福であることを見てほしいと思います。そんな交流の中で彼らが気づくきっかけとなる情報を分かつなど、私にできることをしていきたいと思っています。