「夫がエホバの研究生になって・・・・」 神奈川在住
2006年9月3日の夜、主人から「神棚も片付けようか」この言葉から悪夢の日々が始まりました。「エホバ神」・「ものみの塔の教え」が本当の真理であると話し始めました.
姿は同じだけど中身が主人ではないのです。「仏教にこだわり続けていた全てが間違いだった」「偶像に手を合せない」「日本の行事、誕生日も祝わない」と言いつづけます。
「神前結婚も間違いだった」「葬式もいらない、輸血よりも死を選ぶ」と言いました。
そして、私をサタンだと言います。結婚二十年目を目前に今まで作り上げてきた事を全て否定されました。ことごとく私の心に傷がつき、心の奥の方まで悲しみ・苦しみ・怒り・恐怖が突き刺さりました。両親の助けを借りてもびくともしない心。何を話しても閉じている耳。能面のような顔・・・・どうしてこんな事になったのだろうと一人で悩み続けました。他人からは「私が主人を大切にしていない、背を向けているからだ」と言われ、エホバの証人の人からは「頑固な主人が正しい道に進もうとしているのはエホバ神の力、主人の大きな愛だ」と言われ、「日本の法律には宗教の自由がある、主人の意思は妻である私でも奪ってはいけない」と言われて私の意思・愛・信仰はどうすればよいのか尋ねても返事はなく泣きました。一番隣にいる人間を苦しめてまで進む道なのか私には理解できませんでした。『これでもか』というくらい心が傷つき痛くて辛かったです。「私の人生を返して欲しい、別れて欲しい、それが出来ないのなら私を今すぐ消してくれ」と頼みました。完全に家庭が壊れてしまいました。食べること、飲むことが出来なくなり涙の日々、恐怖の日々で身も心も疲れ果ててしまいました。そんな私の救いは三人の子、大切な友でした。泣いている私の肩にそっと寄り添ってくれた息子。お小遣いでケーキを買ってくれた娘。側で話を聞いて助けてくれる娘。いつでも駆けつけてくれる友達・・・人が怖くなっている私を温かく支えてくれました。それでもまだエホバ神は、証人の人は、主人は私の心の傷を広げに来ます。主人の口から出る言葉は、もう私を傷つけるだけです。そこから逃げたく終わりにしたく離婚を決めていました。そんな時に救いの出逢いがありました。
コンサートで聞いた曲“祈り”「神様がいるのなら一つだけ祈りたいできるだけ穏やかな人生をあの人に」・・・相田みつおさんの「あんなにしてやったのに(のに)がつくとぐちになる」・・・夜回り先生こと水谷先生の「薬物中毒者は愛情だけでは救えない専門医との協力で二人三脚が必要」・・・この三つの言葉との出逢いが今までの自分の行動にブレーキがかかり、今まで自分の気持ちしか考えていない事に気が付きました。私の気持ちの前に主人の気持ちを考える様になりました。そこから不思議なくらいに救われ始め全国被害者集会などを知り、Cさんの携帯番号に導かれB先生に巡り会えました。カウンセリングで過ちに気が付き本当の神様へ導かれる主人を目の前にして真の神様に逢えたことに心から感謝しています。今思うと私自身も気が付かなければいけない事がありました。主人の大切さ、家族の大切さ、宗教など考えさせられました。お互いが大切に思い、悪い場所、間違った場所から救いたいと思っているのに立っている土俵が違うだけでこんなにも傷つけあい、苦しみあい、憎しみにも変わり別れてしまう悲しみは本当に不幸です。大切な人だからこそ悪から救いたいとお互い願うのになぜこのような辛い思いをしないといけないのか・・・お互いが違う土俵の上から早く目を覚ましてと願っているように思います。今現在苦しみに耐えているご家族の事を思うと胸が痛みます。あの辛い立場に立たないと分からない事がたくさんあると思います。私自身いまだに心の傷が痛み涙がこぼれてきます。家族の心は誰が受け止めてくれるのか。家族であるが為に受ける問題。間違いに気が付き正しい道に戻る本人を家族がどうサポートすればよいのか。いろいろな問題に出会います。エホバの問題はそこに入った人だけではなくその家族にもいろいろな問題を投げかけてきます。家族のケアーの場所も大切だと心から思います。何よりもエホバなど偶像が一日も早くなくなり家族が安らかに、幸せに暮らせる日々を望みます。一日も早く間違いに気が付き本当の家族の元に帰る日を祈ります。最後に私を救って下さった多くの方々。今もサポートして下さる多くの方々、支えてくれる子供,家族、友人。そして間違いに気が付いて帰ってきてくれた主人に心からお礼を述べます。本当に有難うございます。 神様、心から感謝致します。
「一年前を振返って」 神奈川在住
2008年1月のある日、仕事帰りの途中、私は一つ手前であるY駅の改札を出、隣接する公園の中を歩きました。北風が頬に当たると電車の中で暖まった体が一挙に冷えてきます。薄暗い幾つかの街路灯伝いに、対岸の米軍基地や停泊中の艦船、潜水艦などを見ながら、一年前の私たちを振り返って見ました。私がものみの塔の研究生をしていた、その頃の妻の苦悩。突然別人と化した私に対し、何故という疑問とともに襲われた孤独感。私と一緒に居ること自体に耐え難い思いをしていました。不安に苛まれ妻はここに佇んでいたのです。私は、このことを後になって知りました。2007年の夏、酒田で開催されたJWTC移動教室において、私達が体験したことを皆様にお話したとき、妻がその時のことを証したのです。離婚を決心していました。3人の子供達を連れて家を出るつもりだったそうです。妻は、肌で感じる冷たさより、氷の世界にいるような心の侘しさに震えていたのでしょう。長い間、涙したと想われます。激痩せし、やつれた妻の顔があらためて瞼に浮かびます。大変な思いをさせてしまい申し訳なかったと詫びながら、今間違いに気付いた私の心は複雑です。2006年の12月頃、私は、妻を想い家族を守るため「エホバの証人」の教えを理解してもらおうと真剣でした。妻が必死に反対する姿には、私自身の信仰がまだまだ至らないから救えないのだと感じていました。「早く集会へ参加しなければ」「伝道などの奉仕活動を始めなければ」とサタンに囚われた家族を救うため心は、一層「ものみの塔」側に傾いていきました。妻の体が日に日に衰えていくことにすら、危険を感じませんでした。反対されるほど、私は心を頑なにしていきました。気が短い私なのですが、なぜか焦る気持ちは起こりませんでした。それほど真剣に考えていたのです。自分の思い通りにならないと直に怒り、周囲に当たり散らす「私」を堪えていたのです。今までの50年間の人生には無かった我慢強さでした。
9年前、私たちは、神奈川に家を建て移り住みました。ほどなく「エホバの証人」の方が「聖書を学びませんか。」と言いながら訪問してきました。代々仏教を信仰する家に生まれ、自身でお経をあげようと「霊友会」に入会していた私は、不快に思いましたが何びとにも快く接するのが修行と考え、とりあえず話は聞くことにしました。但し、輸血問題のことも頭にあり異端な信仰だと決め付けていましたので、大変嫌味な態度で接しました。それでも「エホバの証人」である中年の婦人は、時折訪問してきました。笑顔でやってきては、何かと話し掛けます。聖書のことも話すのですがそれは少しだけで、今の世の中について私の意見を聞き出そうとします。こちらの態度とは裏腹に常に穏やかで上品な話し方でした。それが何年も続くうち、その方たちに親しみを感じるようになってしまいました。初対面の時から、悪意は感じていませんでしたので、自分の心に問題をかかえていた私は、いつしか冊子を垣間見るようになりました。聖書に興味を持ちはじめた私は、つい聖書を見せて欲しいと頼みましたところ、直に「新世界訳」なる聖書を持ってきてくれました。その行為に打たれた私は感謝の態度を示しました。それは、2006年初春のことです。その後、文庫本サイズの冊子をもらいそれを数回読みました。理解しづらかった記述も何度か読むうち内容が判るようになってきました。それから自宅で研究を始めだすまでに時間はかかりませんでした。司会者は、愛と優しさ溢れる青年でした。新婚でしたが、夫婦はとても親切でした。王国会館での集会にも出席し、8月には、横浜アリーナで開催された地域大会に参加しました。会場は清楚な感じの信者で満員でした。子供達も多かったのですが、皆静かに聞き入っているようでした。話す人はすべて穏やかで優しさあふれる話し方でした。私にとっては心に何かを確信した二日間でした。「神は唯一!」。妻に「神棚を片付けよう。」と言ったのはその時です。自宅で聖書の研究、いや「ものみの塔」の指導を受けていたときは許していた妻も、私の一言に大変驚き、恐怖を感じたようでした。その後の6ヶ月間、妻にとっては、まさに地獄だったのでしょう。苦しみながらも、何とか私を引きとめようと必死でした。大野教会を知り、中澤牧師に救いを求めました。一緒に行くよう私に説得してきました。「ものみの塔」の教えに確信を持ちはじめていた私は、良い機会と捉え一緒に出向くことにしました。動き出した電車の中で私は「妻と一緒に聖書を学べますように!」と祈ったのです。
私は今、家庭が失わずに済んだことに安堵しています。苦しみに耐え抜き、家庭を守り通した妻の努力に頭が下がります。感謝しています。夫婦間の信頼が増し、今まで以上に穏やかな家庭になりつつあります。私が間違った道に歩き出し、神の御名を正しく申し上げなかったにもかかわらず、私たちを見守り導いて下された神の存在を感じます。妻が私と共に聖書を学び始めたことには、そのことを「エホバ神」にお祈りした私自身、驚嘆しました。真の神様に感謝いたします。人為的な作為ある聖書の学びの世界より救い出して下された皆様、ありがとうございました。妻が悲しみの涙を流したこの場所で、私は感謝の涙を覚えました。
最後になりましたが山形県の酒田市は私が生まれ育った故郷です。移動教室がその地で開催され、
JWTCの皆様と一緒に出席できましたことは、あまりにも不思議な出来事でした。
大変な思いをされている皆様のため、何らかの形で私たちがお役に立てれば幸いに存じます。
「わたしは道であり、真理であり、命である」 ヨハネ14:6