2016年9月21日の授業から

台風の通過が気になる一日でしたが、今日も楽しいクラスが開かれました。礼拝では、創世記23章より「妻サラの死に直面したアブラハム」というメッセージが取り次がれました。アブラハムは妻の死を経験し、嘆き、墓地を購入し、遠い将来のために畑地を備えました。続いてヨセフの死やアムノンの死についても説明がありました。旧約聖書には死を悼む記事がたくさんあるのに、復活の希望はないと言われたことにびっくりしました。そして新約聖書では全く異なり、特にコリント人への手紙第一15章は、キリストの復活がクリスチャンの復活の体のモデルであるとの解説がありました。

その後のクラスでは、この世界にあるすべての活動、例えば、学問、音楽、小説、芸術、スポーツ、趣味、政治、経済、福祉、旅行、レクリエーション、芸能、マスコミ、その他さまざまの宗教や風習などの領域において、マタイの福音書28章18節の「キリストの主権」がどのように関わるのかという問題が取り上げられました。その問題を解く鍵は「イエスの説かれた神の国」にあるという解説には、目からウロコの経験でした。そのような考えに到達するのに、中澤先生がクリスチャンになって以来60年、牧師になってから50年間の葛藤があったことを知りました。神学が、信仰生活そのものに根ざしていることがよくわかり、先生の喜びが強く伝わってきました。4時間のクラスはあっという間に終わってしまい、信仰のすばらしさに感動しながら、家路につきました。