今日は秋晴れの過ごしやすい一日でした。礼拝では、マタイの福音書25章31-46節より、「最後の審判の判断基準は何か」というメッセージが取り次がれました。イエスが語られた例えによれば、飢えた人には食を、渇いた人には水を、着る物の無い人には衣服を、旅人には宿を、病人には見舞を、牢には訪問をすることが神の国の民に求められていることです。では、このような善行が、イエスを主と信じるなら救われるという「福音のメッセージ」とどのように関係しているのかという基本的な問題を皆で共に考え合いました。私には、未だしっくりしないところが多々ありましたが、これまで考えたことのないことばかりで、多くのことを考えさせられました。
午後のクラスでは、大野教会の前運営委員の倉石隆介兄(行政書士)より、最近召天された方々における相続のケーススタディーが紹介されました。そして、エンディングノート、葬儀、死亡後の様々な手続き、遺産相続、負の遺産の処理方法、遺言の書き方、墓地・埋葬に関わる問題、病気との付き合い方、行政との関わりなど、多岐にわたる問題の一つ一つを丁寧に取り上げ、分かりやすく話してくださいました。お話を聞きながら、大野教会はどのようにして「このような難しく微妙な問題」を、牧師ではなく信徒に相談するシステムを作り上げていったのだろうと、つくづく考えさせられました。自分の死と真正面から向き合い、自分の身辺を整理しなければならないと思わされ、帰途につきました。
倉石兄に心から感謝いたします。