2017年9月20日の授業から

今日は、台風一過の後の蒸し暑い一日でした。今日のクラスには、エホバの証人関係者や福音派の牧師たち及びクリスチャンたちがたくさん集い、楽しい学びの時になりました。礼拝では、ガラテヤ人への手紙1章13-14節より、「パウロの背景から信仰義認を考える」というメッセージが取り次がれました。今年は、宗教改革500年を記念する年です。ルターが説いた「信仰義認」は、パウロが聖書で教えている「信仰義認」と中身は同じなのかという、とても興味深いお話でした。パウロは、紀元前後1世紀のユダヤ教パリサイ派のシャンマイ派に属し、神の恵みの契約のもとで生きながら律法を厳格に熱心に守っていた人物でした。従って、パウロの考えていた「信仰義認」の中身は、ルターがカトリックの世界で到達した「信仰義認」とは、かなり違っている部分があるということでした。なるほどと思う部分もありますが、まだよく分からないこともありました。

その後のクラスでは、朝日新聞のアンケートによれば、「56パーセントの人々が、自分の葬儀をしなくてもよいと考えている」という紹介があり、お互いに自分の葬儀について考えようとの問題提起がありました。中澤牧師は、ご自分の遺言状を披歴され、ご自分の葬儀についてのお考えをはっきり述べられました。それが契機になって、出席者は皆、自分の最後についていろいろ考え、話し合いました。

午後のクラスでは、エホバの証人の元長老石坂さんが「ものみの塔組織の寄付の問題」を取り上げてくださいました。組織はお金に関して「きよい」と宣伝しているけれど、実際には真逆のことをしているとのことです。その後は、エホバの証人だった方々から、積極的なレスポンスが続きました。私はこれまで、エホバの証人とはあまり関わりがなかったので、聞くことのすべてが新鮮で、驚くことばかりでした。

今日もすばらしい学びでしたが、このような学びをもっともっと大勢の方々に聞いていただきたいと心から思いました。