2017年11月1日の授業から

今日は、秋晴れのすばらしいお天気の一日でした。礼拝では、昨日が宗教改革500年記念日ということで、ルターのつくった賛美歌を歌いました。そして説教は、ガラテヤ人への手紙2章15-21節より、「ルターの主張した信仰義認の理解」についてお話しくださいました。この箇所で従来「キリストを信じる信仰」と訳されてきた句は、最近のパウロ研究によれば「キリストの誠実さに信頼する」という意味になるそうです。前者だと、キリストの十字架を刑罰代償説として信じることに通じているけれど、後者だとキリストは旧約聖書の5つの契約(アダム、ノア、アブラハム、モーセ、ダビデへの契約)を成就された方であるとの意味になるようです。私には、ちょっとついていけない細かな議論でしたが、よく考えてみると、なるほどなとおもわされるところが多々ありました。

その後のクラスでは、この「キリストの誠実さ」という問題が取り上げられ、それが現に今のこの社会に存在する「神の国」や「被造物管理の神学」とどのように関係づけられるのかという点を、物語的に講義してくださいました。特に最近先生が関わっておられる卓球の世界と結び付けてお話しくださったので、分かりやすく、とてもすっきりしました。最近中澤牧師は、被造物管理の神学によって真の自由を得ており、すべての思い煩いから解放され、思いっきり楽しく生きていると、よく言われます。今日はそこまで言える理由(背景)を説明してくださったので、先生の信仰がやっと理解できるようになりました。私自身も、聖書の福音に自由に楽しく生き、かつ自分の能力を最大限発揮しながら生きていきたいなと思わされました。